Route 66

犬屋

toxic

深夜2時に外に出ては、煌る自販機に甘水を買いに行くと言うのが小さい頃からの習慣になっていた。すこし田舎だったと言うのもあるけれど、僕は親とあまり接点がなかったので制限も教養もなかった。それは埃まみれの毎日での楽しみであり、目にする街灯やペトリコール、閑静な街の音とかが好きだった。人がいない街路でそれらがこっちを優しく見ていてくれるこの時間だけは人間から逃げられている気がした。また今日も小銭を手にして、甘い蜜に誘われた後の蝶みたくベッドルームに帰っていく。

 

最近は多忙で、心が時間に追いついていない感覚がある。僕は作曲や絵描きに生活の消化器官としての役割があり、奥底に潮溜まった粘土みたいなものを掬い上げては形にするというのをひたすら繰り返して現実逃避に耽っている。つまり同じことをやっていたら同じ感情を受けて同じ物を作る羽目になってしまうので、苦しい生活と美しいうたは表裏一体なのかもしれない。曲を作るということは本当に難しいことだ。

 

戸締まりをしっかりしないと、誰かが入ってきてしまう。

 

ベッドルームでの作曲っていうのは、どうも時間感覚がおかしくなってしまう。今はもう多分深夜2時じゃなくなって、閉めたカーテンのその裏に何か期待しちゃいけないんだ。昔から根本的な生き方が違うと思っていた。解っていた。それが苦しかったんだ。

help

 熱病に冒されて、救急車に運ばれ点滴を打った。搬送途中の治療室の中、走馬灯のようなものが駆けめぐり「死ぬってこういうことなんだ」と少し解った。僕は扁桃腺を切除していて、こんな風にやられるのは久々で辛かったけどそれはそれで面白かった。氷枕が欲しいですと言いたかったけれど、プライドが許せずに天井から垂れ下がったナースコールをそこはかとなく無視した。


 熱が上がり始めた頃、小学校の親友と再会する夢を見た。あっけらかんと晴れた街路に彼はとてもにやにやと歩み寄ってはまた昔みたいに話をして笑った。なぜか僕はそいつとバイクに乗って見覚えのあるバス停までとばした。そこには中学校のクラスメイトが輪になって話していた。そいつも顔見知りであったので2人で入った。楽しい空間の中には晦い話もあったが、頑張れよという一言と、慰めを貰ってそこを別れた。同じ時間を過ごしてきた人間を見渡してみると僕はどうにも沢山の人に嫌われてきたなと思う。それには多分自意識過剰的なものも含まれているだろうが、僕は十代のうちにどれだけの人間に嫌われればいいんだろうと思ってしまう。誓い合った約束も、愛も怠惰も果たして本当にあったんだろうか。こういうふうに道を別れた人たちのことを、僕は未だに夢に見る。

 

 

それからも夢は続いた。

 

 場面が変わり、真っ白な無菌室みたいな場所で僕は寝具の中にいて、あやふやに暈けた誰かが囲んでいる。それ以外そこには何にもなく、悲哀しか部屋は覚えていなかった。僕は多分人間が恐かったので嘘をついた。春の終りに花びらが落ちるような地獄に真っ逆様になる感覚だけがいつも隣にいた。決まって何かを言葉にできないままいなくなった。ただ仲良くなりたいだけだった。助けてって言えなかった。

自分を愛したもうために、皮肉のタトゥーを恨みとともに生きていくしかないのかも

 

自分を愛したもうために、誰かを天秤にかけてかがやきを戻さなきゃならないのかも

 

自分を愛したもうために、夜の帳を追って後悔のうみを泳がなければいけないのかも

 

でも、

 

自分を愛したもうために、あなたを愛することを許してくれるのなら

 

貴方が眩しい事象は全て私の中にあった

 

落とした覚えも無いはずの花弁がそこにはあった

 

星は点っていた

 

以ってして。

 

 

環状8号線

 居場所探しに漂流する人たちが最近目につく。一昔前家出した僕を見ているようでなんだか放って置けないような、懐かしいような気持ちになる。今まで僕は出所や出で立ちを語ることをあまりしなかったけど、自己反芻の材料として一度書いてみることにする。

 僕は親と絶縁してから、ずっと独りで他者との関係と音楽を抱えて生きてきた。僕は冗談で「初音ミクが母で、米津玄師は親父。」とおどけるけれど、あながち間違いではない。なので僕は本家とは別に孤立した自室、駐車場の上に立ったゲゲゲハウスみたいなところで育った。そこはそれにしては随分と居心地が良く、窓から見える朝日と夜月のいたちごっこが綺麗で、怠惰に任せて深夜に潜ると吐いた溜息と寂しさが浮き彫りになる所だった。年月を重ねるうち、スマホの画面の中で同じような思想を持った人間に親近感と憧れを持って、たまたま手元にあったギターとボールペンで美しくなれる術を模索した。曲を作るようになったころには、僕は完全に何処にも行けなかった。僕はガラパゴス諸島で生きるゾウガメみたいに甲羅の形を変え、雨を待ち、そこに居着くしかなかった。枯渇した愛は誰かの残り香で誤魔化した。

 時間というものは残酷なもので、もう顔すら覚えていない人間に対して敬意や怒りもない。親という大義名分に"絶対的"を看過できる人間に哀れみと羨ましさが残る。さようならとはじめましてを繰り返すなかで、あなたに大丈夫だと言ってやれるような人間になれればそれでいい。「自室は心と鏡合わせだ」と父さんが言っていたのを思い出した。今だけは全部を空にする必要があると強く思う。

対岸

 物心ついた頃から変わらない、人の輪郭にいつも入りたくなかった。他人の要素に自分がいるという事実に吐き気を覚えていた。だけどそれを赦せる人たちが少しずつ増えて紛いなりにも人間的になれたところでまた、"全てを拒絶しなければならない"と思う。そういう時期が来ている。漫画でよくある森から鳥が危険を察知していなくなるシーンみたいに、虫の知らせが電話を鳴らすように、さようならと誰かに告げないとならない気がする。そう言うものを直感と義務付けるのならばこれから投げる文字は論理だろうか。

 いつか見た化物語の阿良々木くんが「人間関係を組むと人間強度が下がる」と言っていたのが懐かしい。これは真理に近い。と改めて孤独と逢瀬を綱渡りして思った。これは単に腑抜けてしまうってことじゃなく、自分の要因を他人の所為にするのが容易って事。他人に身を任せるうちその人の隙間に入り込んでは、一生を体の機関として働き続けなければならないということ。そしてそれに気がつかないということ。僕が何を言っているのかわからないのならそれは貴方が沢山の人間に弛緩されている証拠だ。以上含め、僕は人類から淘汰されるべき人種なんだなと漠然に思う。

 僕が貴方達を想うことは珍しいことじゃない。何をしたら喜んでくれるのだろうとか、その逆とか。そうやって相互見えないところでの思慮がくだらないと思えてしまうくらいに僕はクソだ。それはまるで亡霊。相手に繋がれるだけの周波数を探しているような気持ちになった。それをコミュニケーションと呼べるのかどうかわからないけれども、もしそうなら僕はそれから逃げ出したい。貴方が感じているほど僕はいい人間じゃないし貴方を好きでもない。人間関係っていうのは常に片想い、それは仕方がない。それでも僕は貴方の幸せを願っている。これだけは伝えておきます。

 ここまで読んでくれている人に対して感謝があるから書くけれど、僕が日常的に使っている語句の殆どは虚像だ。本音が本当の音なんだとして、僕はノイズでしかないんじゃないか?と度々思う。意地と諦観と自意識の塊でしかない僕に、果たして貴方の一部に成り得るだけの資格があるのか。多分最初から解っていた終わりだけが今、私の光だ。ハレルヤ。さようなら。

春っていつ終わりなんだろう?気温だけを追って考えるならもう夏だよな。桜が散るのを風情って言い出した人間はすごいなあってなってアイスを齧る。僕は紛いなりにも日本人なので、季節に願望や期待が忽然とあって、暦が自分を追い越す度、季節を使って回収していくような感覚がある。「米津の打上花火って去年の夏!?じゃあもう1年経ったんだ」みたいな笑。何かにつけて理由にしやすいんだろうな、と。やはり冬には炬燵で蜜柑を食うし、夏には浜辺で西瓜を食う。当たり前と言ってしまえばその通りなんだけど、なるべく自然体でいたいとは思う。

最近自分と言うものに対して、そもそもの確固たる自我というものがあるのかどうか考えることがとても多い。ニーチェが言っていた他人の観測によって自分の輪郭が確立するという哲学は、得てして僕を苦しませる。産声を上げたその日から、自分の本質を隠しながら、借り暮らしのアリエッティみたいに暮らしていた僕に果たして、自我なんぞあるのものだろうか。本当に大事なものをポケットに隠していたら、無かったことになってしまった。春を気のせいだと誤魔化していたら、桜が散るのを止められなくなってしまった。風情もクソもないうえ、僕は自分を信じてやれないし、もう誰も僕を信じないで欲しい。幽霊みたいにフラフラしながら時間を気怠く追っていくくらいが僕には丁度いいのかもしれない。

去年の夏にあまりいい思い出がないので、今年はかき氷食べたい。たまや。

シャイン

おじいちゃんが死んだ。家庭環境等色々な理由によって死に顔を拝見出来ていないんだけれど、何故だか当人と分かり合えた感覚がある。これは拒絶されようがないという死人に対する期待が要因であって、死人に口無しっていうのはこういうことなんだろうな。一ヶ月前に浴場に向かう背中を見たっきりで、二度と僕の目の中に彼の吐息は映らなくなってしまった訳だけれど、死んでいるか生きているかすらよくわからない僕には親近感すら湧いてしまうというのが現状。

 昔から死というものに頓着があまりなく、必死をこいて勉強するクラスメイトを尻目に「なんで明日死ぬかもしれないのにこんなに忙しなく生きていられるのだろう」と毎日疑問を浮かべる中学生だったのを覚えている。幽霊が出そうな風呂場で蛍光灯がチカチカする情景は、まさに生命が尽きるそれだ昼行灯は誰の目にも見えやしないわけで、命にとって死はあまりにも普遍的だ。細胞が死んで、完全に入れ替わるのに2年間。寝床に入って、意識が戻るのに6時間。よくもまあ、自分が生命的活動が出来ていると断言できたものだ。僕が今死んで一体何人の人間が悲しんでくれるだろう?それをぼんやり数えて、途中で辞めた。

 暮石の前にしゃがみ、弔う口実がないと死人と話し始める人間は頓珍漢だ。だから言葉という綱を双方から突っつき合うことこそが人間の本質であり意味だ。その綱から落ちていく人間もいるけれど、それでも結果が全てなのだとしたら人生も生まれて死ぬってだけだ。今の内に沢山の人間と沢山の言葉を交そうと思う。幽霊にでもなって出てこない限りは、風呂場からも上がれなくなってしまうから。