Route 66

犬屋

夜行性

  ある漫画やら女優やらブログの影響でヒョウモントカゲモドキを飼い始めた。可愛い、癒しに他ならない。何がいいかと問われれば、あまり世話をしないでも自分から勝手にやって行くという所がとてもプラトニックだなと思う。僕の人間関係の理想形でもある。今日友達と遊んでいる最中に脱皮をしたみたいで、更には脱皮した皮を食べることもあるらしい。兎にも角にもすごく微笑ましい。

  外出時、気温湿度が低かったりする時、命の重みを身にしみて感じる。僕は日常的に作品や言葉に命を吹き込むとかクサい事を言ってのけるが、責任感がポッカリ抜けていたなと実感する。感情や物質、生物にももっと真剣に接せられる様になるいい機会かな、こんな考えももっとも軽いか、と考えを改める。

  楽曲や絵の制作をしながら人間性とはなんぞやとひたすら考える日々を送っている、どうすれば自分自身を見いだせるのか、ひたすら暗室の中で考える。どこがどこかも解らない、不安定。ここはコイツが居座るシェルターみたいだ、言葉とか表現とか雰囲気やら、日々ゲージの中、皮を自分で剥いて、それを食べて、消化する。それだけひたすら繰り返す。コイツも俺も一緒。夜中、ただ考える。

 

 

モンスター

  普段は他人や自分のことで忙しい分、休暇はここぞとばかりに音楽制作をする毎日である。自分の内側から出た音楽的感性に文字を並べていく。活字拾いのジョバンニとか言われそうだが、いや、もっときらびやかな作業だ。どうしたらサウンドに似合うか、華やかであれるか、考える。新聞みたいに単純ではない、僕の音楽制作には自分が二人いて、どうすればいいか、選択肢という看板を破り捨てる勢いで模索する。常に、言葉や音楽は誰かの議事録である。

  こんなことばかりしていると、昔やっていたゲームの着せ替えを思い出す。僕はあれが好きだった。自分のモノに染めていく感覚。色をつける、とかではなく自分を複製すると言った表現が正しいだろうか。こんな言い方はなんだろうが、現実世界に私はいるという確認方法だったんだなと今更思う。反面、それが今の音楽制作に代わっただけで何も変化しないなとも。表現や心情にカテゴライズするには恐れ多い、そんなふわっとした何かが今昔も原動力である。

  遠の昔、心は馬で、ちゃんと乗りこなさなければならないみたいな事をどっかしらで見てそれを指標に生きてきた。しかし馬でも人間でも、神でも悪魔でも心でもない、身体の奥底に眠る化け物を忘れてはならない。