Route 66

犬屋

モンスター

  普段は他人や自分のことで忙しい分、休暇はここぞとばかりに音楽制作をする毎日である。自分の内側から出た音楽的感性に文字を並べていく。活字拾いのジョバンニとか言われそうだが、いや、もっときらびやかな作業だ。どうしたらサウンドに似合うか、華やかであれるか、考える。新聞みたいに単純ではない、僕の音楽制作には自分が二人いて、どうすればいいか、選択肢という看板を破り捨てる勢いで模索する。常に、言葉や音楽は誰かの議事録である。

  こんなことばかりしていると、昔やっていたゲームの着せ替えを思い出す。僕はあれが好きだった。自分のモノに染めていく感覚。色をつける、とかではなく自分を複製すると言った表現が正しいだろうか。こんな言い方はなんだろうが、現実世界に私はいるという確認方法だったんだなと今更思う。反面、それが今の音楽制作に代わっただけで何も変化しないなとも。表現や心情にカテゴライズするには恐れ多い、そんなふわっとした何かが今昔も原動力である。

  遠の昔、心は馬で、ちゃんと乗りこなさなければならないみたいな事をどっかしらで見てそれを指標に生きてきた。しかし馬でも人間でも、神でも悪魔でも心でもない、身体の奥底に眠る化け物を忘れてはならない。