Route 66

犬屋

toxic

深夜2時に外に出ては、煌る自販機に甘水を買いに行くと言うのが小さい頃からの習慣になっていた。すこし田舎だったと言うのもあるけれど、僕は親とあまり接点がなかったので制限も教養もなかった。それは埃まみれの毎日での楽しみであり、目にする街灯やペトリコール、閑静な街の音とかが好きだった。人がいない街路でそれらがこっちを優しく見ていてくれるこの時間だけは人間から逃げられている気がした。また今日も小銭を手にして、甘い蜜に誘われた後の蝶みたくベッドルームに帰っていく。

 

最近は多忙で、心が時間に追いついていない感覚がある。僕は作曲や絵描きに生活の消化器官としての役割があり、奥底に潮溜まった粘土みたいなものを掬い上げては形にするというのをひたすら繰り返して現実逃避に耽っている。つまり同じことをやっていたら同じ感情を受けて同じ物を作る羽目になってしまうので、苦しい生活と美しいうたは表裏一体なのかもしれない。曲を作るということは本当に難しいことだ。

 

戸締まりをしっかりしないと、誰かが入ってきてしまう。

 

ベッドルームでの作曲っていうのは、どうも時間感覚がおかしくなってしまう。今はもう多分深夜2時じゃなくなって、閉めたカーテンのその裏に何か期待しちゃいけないんだ。昔から根本的な生き方が違うと思っていた。解っていた。それが苦しかったんだ。