Route 66

犬屋

田無

  僕は「名前」って言うものに固執してしまう性分があって。例えば地元の田無市は「田んぼが無い町だから」っていうネガティブなネーミングセンスしてんのが面白くて、日本人の根暗を一人で笑ったし、キラキラしてる名前を持つ人間はやはりどこか正常じゃないんじゃないかと直感で思ってたこともあった。これらに鑑みると偏見や侮蔑どうこうはこういう所から始まっていくんだろうなって思う。名前というフレーズで他人のイントロが始まっていくといったところ。僕はどんな楽曲になってきてるのだろうか、誰かを踊らせてしまえるようなものが好ましい。

何者を見に行った。映画館が嫌いで全然涙腺を壊さない人間なんだけど、あまりの虚しさに一人で号泣してしまって。エンドロールが終わって本能的な「共感してくれる人間はいないのか」という衝動に身を任せて周りを見渡したらもう誰も居なくなってて更に悲しくなったのを覚えてる。鬼ごっこの鬼役、忘れられたパズルピース、何者でもない自分独りが取り残されていた。偶然居合わせただけの集団が全く同じ映像を観ているくせ感想も言い合わずに帰って行く、僕はこれらが悲しくてたまらないらしい。

  匿名性っていうのは人間の精神を可視化させるのに一番手っ取り早い手段なんじゃなかろうか。理性も論理もないブラックボックスの中で垂れるはずのなかった愚痴を暗闇の盲目に放り投げる。なんせそんな状態には実体がない、身体が定まってないからだ。自己の輪郭を形どっているのは間違いなく他人だし、自分もまた人の整形の医師を担っている。不細工な輪郭もアウトサイドもそろそろ懲り懲りだ。僕になまえを付けてくれよ、田んぼが無かった大地みたいに。