Route 66

犬屋

春っていつ終わりなんだろう?気温だけを追って考えるならもう夏だよな。桜が散るのを風情って言い出した人間はすごいなあってなってアイスを齧る。僕は紛いなりにも日本人なので、季節に願望や期待が忽然とあって、暦が自分を追い越す度、季節を使って回収していくような感覚がある。「米津の打上花火って去年の夏!?じゃあもう1年経ったんだ」みたいな笑。何かにつけて理由にしやすいんだろうな、と。やはり冬には炬燵で蜜柑を食うし、夏には浜辺で西瓜を食う。当たり前と言ってしまえばその通りなんだけど、なるべく自然体でいたいとは思う。

最近自分と言うものに対して、そもそもの確固たる自我というものがあるのかどうか考えることがとても多い。ニーチェが言っていた他人の観測によって自分の輪郭が確立するという哲学は、得てして僕を苦しませる。産声を上げたその日から、自分の本質を隠しながら、借り暮らしのアリエッティみたいに暮らしていた僕に果たして、自我なんぞあるのものだろうか。本当に大事なものをポケットに隠していたら、無かったことになってしまった。春を気のせいだと誤魔化していたら、桜が散るのを止められなくなってしまった。風情もクソもないうえ、僕は自分を信じてやれないし、もう誰も僕を信じないで欲しい。幽霊みたいにフラフラしながら時間を気怠く追っていくくらいが僕には丁度いいのかもしれない。

去年の夏にあまりいい思い出がないので、今年はかき氷食べたい。たまや。