Route 66

犬屋

対岸

 物心ついた頃から変わらない、人の輪郭にいつも入りたくなかった。他人の要素に自分がいるという事実に吐き気を覚えていた。だけどそれを赦せる人たちが少しずつ増えて紛いなりにも人間的になれたところでまた、"全てを拒絶しなければならない"と思う。そういう時期が来ている。漫画でよくある森から鳥が危険を察知していなくなるシーンみたいに、虫の知らせが電話を鳴らすように、さようならと誰かに告げないとならない気がする。そう言うものを直感と義務付けるのならばこれから投げる文字は論理だろうか。

 いつか見た化物語の阿良々木くんが「人間関係を組むと人間強度が下がる」と言っていたのが懐かしい。これは真理に近い。と改めて孤独と逢瀬を綱渡りして思った。これは単に腑抜けてしまうってことじゃなく、自分の要因を他人の所為にするのが容易って事。他人に身を任せるうちその人の隙間に入り込んでは、一生を体の機関として働き続けなければならないということ。そしてそれに気がつかないということ。僕が何を言っているのかわからないのならそれは貴方が沢山の人間に弛緩されている証拠だ。以上含め、僕は人類から淘汰されるべき人種なんだなと漠然に思う。

 僕が貴方達を想うことは珍しいことじゃない。何をしたら喜んでくれるのだろうとか、その逆とか。そうやって相互見えないところでの思慮がくだらないと思えてしまうくらいに僕はクソだ。それはまるで亡霊。相手に繋がれるだけの周波数を探しているような気持ちになった。それをコミュニケーションと呼べるのかどうかわからないけれども、もしそうなら僕はそれから逃げ出したい。貴方が感じているほど僕はいい人間じゃないし貴方を好きでもない。人間関係っていうのは常に片想い、それは仕方がない。それでも僕は貴方の幸せを願っている。これだけは伝えておきます。

 ここまで読んでくれている人に対して感謝があるから書くけれど、僕が日常的に使っている語句の殆どは虚像だ。本音が本当の音なんだとして、僕はノイズでしかないんじゃないか?と度々思う。意地と諦観と自意識の塊でしかない僕に、果たして貴方の一部に成り得るだけの資格があるのか。多分最初から解っていた終わりだけが今、私の光だ。ハレルヤ。さようなら。